Essay エッセー
日々感じたこと思ったことをそこはかとなく日記に書き記して発信していきます。

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12.6.6 松下政経塾見学

6/5 国会見学の翌日、6/6 神奈川県茅ケ崎にある松下政経塾を見学してきました。

(国会見学の様子はまた次回アップしたいと思います)

松下政経塾は、1980年4月1日に開塾し現在252人の卒塾生がおり、
その中には現総理の野田佳彦さんや外務大臣の玄葉光一郎さん等々言うに及ばず
多数の為政者を輩出しています。

昨今、政治が混迷している中で、メディア等から政経塾出身者の批判がありますが
設立者松下幸之助さんの思いを受け継いでいる卒塾生たちは、理想と現実の狭間で
もがき苦しみながらも、きっとよりよい日本になることを胸に日々努力している
のではないかと思いました。

その幸之助さんの思いとは、1979年に書かれた下記の設立趣意書から伺えるのでは
ないかと思います(一部抜粋・要約)。

物的繁栄の裏側では、返って国民の精神は混乱に陥りつつあり、帰するところ
 国家の未来を開く長期的展望にいささか欠けることによるのではないか?
 国家国民の物心一如の真の繁栄をめざす基本理念を探求していくことが何より
 大切である。しかし立派な基本理念が確立されても、力強く具現していく
 為政者をはじめ各界の指導者に人を得なけば、これはなきにひとしい。
 この観点から真に国家を愛し二十一世紀の日本をよくしていこうとする
 有為の青年を募り、研修、調査、研究、啓蒙活動を行う松下政経塾の設立を
 決意した

  

■事務局次長からの松下政経塾の概要のお話のポイント

 ・創立32年、松下幸之助さんが84歳の時に、日本良くしていこうという青年を
  鍛える場として設立
 ・政治家を目指すための塾ではない。結果論として政治家になる人がいる
 ・国家にも経営の考えが必要と幸之助さんは考え、塾生にも経営感覚を養ってもらう
 ・自修自得が塾の眼目、自分の発意が大切
 ・現地現場に行き、一番苦労している人を接することが大切

 ・自分の身辺の掃除ができない人が政治をきれいにできない
  塾内に「楠」が植えられているのは、葉が落ち掃除をしないといけない環境を
  つくる為と考えられ植えられた
 ・幸之助さんは、学歴がなかったから「素直」になれたと仰っている
  素直とは、私心なく、くもりのない心、とらわれない心、物事の本質をありのまま
  に見ること、自分の利害、感情、先入観にとらわれない 

  また、不自由、不親切の環境の方が人は育つとも仰っていた

 ○途中、松下幸之助89歳時 塾主講話というVTRを見ました。

 ・戦後30年ものが増え復興を初めている。しかし本質的には復興したのかといったら
  まだそうとは言えない。
 ・政治が良い悪いは、戦争に勝った負けたより怖いこと。
 ・松下電機は政治の一員として生産(活動を)している。
 ・平等に政治に口出しして提言をする
 ・良い政治には、良い政治家が必要
 ・本当の政治はこうあるべきだと研究する場、人を集めて教育する
 ・日本の運命と共にする
 ・自らを自らでつくり、宮本武蔵は聖剣になった。自修自得、教授はいらない
  政治の宮本武蔵が生まれる


■続いて塾構内見学
 
 ○建物
 ・某K建設会社への建設要求は、たったひとつ「民主主義」らしさ
  結果として、ギリシャアテネ、地中海風の建物をなったらしい
 ○茶室
 ・茶室の床の間には、創業者直筆の「素直」の掛け軸が飾られていた
 ○寮棟
 ・塾生の寮はワンフロアーの4つ角に4つの個室、中央に共有の和室がある。
  4つの個室はどれも同じ大きさで机・ベット・本棚等々最低限のものがある
 和室には「大忍」の文字が書かれた色紙が額に納められ壁に掲げられていた。
  「大忍」の文字の発端は、先般なくなられた山下社長が4人の副社長を抜いて
  社長になられた創業者が渡したようです。
  そこに込められた思いは「指導者になる者はこの資質がないといけない」
 ○衆知の庭
 ・「衆知の庭」には、一角にスピーカーズコーナーがあり、上に立って演説する為
   の大きな石が一つと、座って聞くための大きな石が数個半円状に置かれている 
 ○アーチ門
 ・正門入口に描かれたモニュメント「明日の太陽」は作者は彫刻家「加藤昭男」先生
  何故、加藤先生が選ばれたかというと、幸之助さんが3人の方に、このモニュメント
  の案の作成を依頼した際に3人から以下のような返答が返ってきたようです。 
  一人目、「如何ようにでもつくります」
  二人目、「こんなでかいのは予算はいくらでしょうか?」
  三人目、設立趣意書を熟読し「その趣旨からこうだと私は考えた」との提案
  *この三人目が加藤先生だった
  また、そのモニュメントに描かれているものにはそれぞれ意味が込められている
  (1)左には[力の象徴]の男性、手にはヒマワリを持っており「花言葉は情熱」
  (2)右には「愛の象徴」の女性、手のひらを「平和の象徴」である鳩が飛び立つ
  (3)中央に政経と書かれた太陽がサンサンと輝く
  「この門をくぐる者は、どんな困難に出会おうとも、愛と平和と正義と勇気で
   太陽に向かっていく」といった思いが込められている。  
 ○黎明の棟
 ・棟の上にある「鐘の音」に相当を拘ったようです。
  善い人も悪い人もこの音を聞いたら善意が芽生えるような音、澄み切った音。
  そんな思いで作った鐘も、実際には使用されておらず、結果的にはシンセ
  サイザーでつくった鐘の音を使っているようです。
  *講義中に実際に数回この音を聞いたが、少し長く高めで染み入るような音でした。
  実際には、棟の上の鐘は使われていないようですが、一度だけ鐘がなったと
  言われていて、それは、東北大震災3.11の揺れで、鐘が揺れ自然に鳴り始め異様な
  音を発したようです。
 ○幸之助さんの銅像
  ・下から見上げてもバランスが釣り合うように顔が大きめに作られる
  ・海外でも幸之助さんは人気があり、中国人がよくこの前で写真を取っている

■政経研究所所長のお話

 此方からの質問に回答する形式で行われた

 ①政経塾は何を持って成功とするのか?
 
 ・幸之助さんは端的に仰っている「本当に経営ができる政治家が一人でも
  出せればいい」
総理を輩出しようとは言っていない。
 ・政治を経営・マネジメントとしてみる
  「経営ができる」とは、例えば、税金を下げれば、低福祉となり、逆に税金を上げれば
  福祉を手厚くできると常識的には考えるが、幸之助さんは、税金は低く抑えても福祉
  は手厚くさせるのが経営の発想、究極的には無税でもいいという帰結点。

 ・企業には「経営理念」がある、国家の経営理念として「国是」の考え導入
  嘗ては政治は「統治」するとの考えで行われていたが、「マネジメント」の考え、
  そして政治に「経営理念」の考えを取り入れようとした第一人者が幸之助さん
 ・知っている人ではなく、できる人を育てる 自分の頭で考え、自ら動ける人 

 ②何故、年齢制限が35歳なのか?

 ・人間には「伸びしろ」がある(大きく伸びる時期がある)
  男性は35歳、女性は30歳、それは体力的な限界による
  朝から研修、夜まで討論会があったりと体力的にきつい
  (因みに、252名の卒業生二十数名女性のOBがいるようです)
 ・1期~10期は30歳迄の年齢制限をしていて当時は学卒者が殆どだった
  11期以降35歳迄に拡大(所長は12期生)
  年齢制限を拡大した背景は、当時政経塾ができて10年経っても政治家が殆ど出て
  いない状態で、社会人を選抜することで社会の現場でどうにもならない事をすぐに
  政治の世界に反映できるような即戦力を選抜する為
  それに伴い、11年目からSchool(学校)ではなく、Institute(研究所)と呼び名が改称
 ・1期は903人の応募の中23人が合格、12期は100人の応募の中から2人合格だが
  大体倍率は30~40倍に結果的になっている
 
 *現在は、60歳以上や女性限定のカリキュラムの構想、今の教育ではリーダーは
  生まれないので小中高大を対象としたカリキュラムの構想もあるそうです
  (現時点では未定)。 
  
③塾生の採用基準は?

 塾生の求められる資質は3つ

 (1)運 (2)愛嬌 (3)意見  
 
 (1)運  例えば、「アフリカ支店を出すけど行ってくれんか」と言われた時
      ここで悩む人は運がない、その場で行くと言う人は運がある
     (機会を活かして自分の運命を切り開いていくといった感じか)

 (2)愛嬌 人に好かれないとリーダー・指導者にはなれない

 (3)意見 自分の意見が言える人
      何故なら自分の意見をいう事には責任が伴うから



 ○現首相の野田佳彦さんの入塾選考はこんな感じだったらしい

 ・幸之助さんからの質問に野田さんが回答する場面
  (1)「お父さんは政治家か」 「いいえ、自営です」
  (2)「家はお金持ちか」   「貧しいほうです」
  (3)「誰か支援してくれる人はいるか」 「おりません」
  *議員になるための常識として上から(1)地盤(2)カバン(3)看板が必要ならしい   
 ・幸之助さんの反応は「素人か、それええな」
  ●素人だからこそのメリットがある。既成概念に囚われない考えができる
、との意
  
 ・また、入塾した際に、野田さんから「3バンがない人が選ばれたのは何故?」と質問に
  「わしは政治は素人や、今の政治を見ていると素人の私でもほっとけなんだ」 
  「今の政治を見ていていいと思うか、よくないと思うか、良くないことは素人の方が
   変えやすい」
 
 ・因みに、野田さんの街頭演説をする際のキャッチフレーズは
  「3バンないが、されど正義と良き友あり」

 ○少し話がそれますが、茶室で幸之助さんが怒ったことがあったという

  塾生が販売研修に行って、そこで気が付いたことを幸之助さんに報告した際、
  塾生からはパンフレットはこうした方がいい、セールストークは、こうしたら
  もっと売れるといった批評や提案ばかり、そこで

  「同じ看板、同じ商品を扱っていて何で売り上げに違いがでるのか」

  「単なる電気屋に行かせている訳ではない、中小企業では、如何に従業員に
   働いてもらうのが難しいか、120%人を活用してほしい、現場で人情の機微
   を学んでこい」
 「熱い思い、熱意があると人は変わる」
   
  このことを学んできなさいと論したという

④素志研修とは?

 ・自分が志したテーマを現場で体験し、それを持ち帰って仲間や有識者と協議して
  磨いて行く作業  (志を磨くといよりは、テーマを深堀していく感じがした)
 ・志とは、野心、野望とは違う。政治家にならないとできない、は違う
  自分の事だけではない、自分の事を越えたもの

 ○少し話がそれますが、「素直な心」とは「融通無碍な心」の事で
  幸之助さんは商売は、丁稚奉公から学んだを言われており
  旦那の癖まで、良いも悪いも全て吸収する必要がある、
  例えるなら、瓶の中は全部からにしないと全部入れられない
  一旦全てを空にして、すべてを受け入れてしまう、あとどう活かすかは経営者次第 
 ・聞くとは知恵を頂くこと
  上得意の声は聞くが、一元の声を聞かない、ではいけない
  
 ●地位や名誉が高くなると耳は閉じいていくのが人間のサガ
  聞くとは、人を受け入れること。技術で教えることはできない、心の問題
  人に対する愛情とか関心があるかどうか
  (Talkは技術の側面があり話し方教室があるように教える事ができる)



■感じたこと

政経塾では、常設の講師や教授はおらず、「自修自得」を原則としていました。
つまり、自分で問題意識を持って自らが自問自答しながら考えて行動する、
そのサポートをする場として政経塾がある、とのスタンス。
入塾選考基準が3つありましたが、もっと本質的には、自らの強い内発的な思いが
あれば、それら3つの資質はついてくるのではないかと思います。
何故なら、その自らの思いを叶えるには、人の協力を得ないといけませんし、
その為には自分の意見をしっかり語ることも必要になってきます。また、思い
が強ければ強い程、外への積極性も増し必要な人と巡り合う確率も高まるので
運も付いてくると思います。

この強い内発的な思いを持つ人が現代では少なくなってきているのではないかと
思います。その背景には、幸之助さんが仰っていた「不自由・不親切の環境の方が
人は育つ」といっていた事にヒント
があるのではないかと感じます。

物事は必ず二面性を持っており、豊かになればなるほど、自分で考えたり、自分で
苦労して何かを行うといった機会が減ってきます。

幸之助さんも幼少に丁稚奉公に出されましたが、そこでの苦労が商売の学びの原点を
なって「水道哲学」等の内発的な思いを持つに至ったと思います。

そう考えると、今の自分の安全地帯から一歩外に歩み出す、それは違う部署かも
しれないし、海外かもしれないし、外に出たその時に自分の心の奥底に感じた事は
何かを考え、その思いを胸に行動していく事が大切になってくるのではないかと
思います。それは成人してからのことでなくてもよくて、如何に幼少期から自分の
内に熱い思いを持って、自修自得の考えで行動できるか、そういった人をどうやって
育てていくか、今後の日本の未来を大きく左右することになるのではないかと思います。


幸之助さんがある朝、茶室で調子が悪そうに目を真っ赤にしている事があり
その理由を世話役の塾生が聞くと「日本の未来を考えると眠れなかった」との返答が
返ってきたそうで、晩年になっても日本の将来を憂い心底心配していた表れです。
幸之助さんが思い描いた日本には、今はまだ程遠いのかもしれませんが、幸之助さん
の内発的な思いがなした事、それは、1918年に「ものづくり」松下電器創、1946年
には「理念づくり」PHP研究所の設立、1979年に「国家経営を考えれる指導者づくり」
松下政経塾を設立したことは、非常に偉大なことだと改めで感じさせられました。

余談ですが、政経塾創設が幸之助さん85歳の時で、それ以降の発言発声は紀州弁と
御高齢が相まって聞き取り難く為、現在石川金沢の紀州弁がわかる人に御願いして、
晩年の声を解読しているようですので今後更なる展開が期待できそうです。
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