Essay エッセー
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12.10.02. GDPという指標の意味

経済の成長を表す際に「GDP」をよく使いますが、その指標が一般的に使用される
ようになった背景と課題が、ある雑誌にうまく説明されていたので、加筆修正
しながら抜粋してみたいと思います。

先ず、GDPとは「Gross Domestic Product」の頭文字の取ったもので日本語では
国内総生産」となります。

広辞苑によると「国内総生産」とは「一年間に国内で新たに生産された財・
サービスの価値の合計。国民総生産から海外での純所得を差し引いたもの」

とあります。

さて、政府が拡大を目指す目標としてよくGDPが取り上げられていますが、
何故GDPが国民の追求すべき指標の地位をしめるようになったのか?

始まりは18世紀末に現れたベンサムの功利主義である。
功利主義は「幸福の総和を最大化する行為が善である」という立場を出した。
その特徴は、行為によって生まれる結果の善し悪し(幸福量)を重視する
帰結主義に特徴がある。その幸福量を計測するツールとして白羽の矢が立つのが
近代経済学
である。

近代経済学の「限界効用理論」は、商品を消費した時に欲望を満足させる程度
(=限界効用)に応じてその商品の価値が決まると考える。ここでいう「満足」
は「幸福」と同義で扱われるところがKeyになる。
つまり、満足度に比例する
価格と数量を乗ずれば総生産額、総消費額になるが、それこそまさに「幸福量
の総和」となるわけである。
こうして総生産額(GDP)の最大化が幸福量の最大化
として扱われる基盤ができたのである。そして、GDPは貨幣で測れる指標という
簡明さが普及の原動力になった。

しかし、GDP=幸福量と短絡的に言えない。
何故なら、GDPは確かに一国の経済力を表す指標だが、そこには「健康」
「余暇時間」といった「生活の質」や「教育」といった「能力」、
「環境の持続可能性」等々といったものが考慮されておらず、幸福度指標として
完全とは言えない。

だから、「直観主義」からは、功利主義が掲げる「最大多数の最大幸福」に対して
「少数者の犠牲の下に多数の幸福の最大化を目指す」ことへの批判があり、それが
根強く存在するのはGDPが完全でないことを物語っている。

※直観主義とは、善悪において人が生来身に付けている道徳感覚を重視する考え。
 認識に関して、経験的もしくは推論的な思考よりも、直観を優位とする立場。

以上、簡単にまとめてみましたが、経済学の「満足」が人間の「幸福」と同義
として扱われた結果、DGPの伸びが各国の国民の幸福度を向上させると考え、
その指標を標榜するに至っていることが理解できます。

ここでのポイントは必ずしも、GDPの成長が人の幸福度とイコールではないこと
だと思いますが、もう一つ考えておかなければいけないことは、人の幸福度とは
人それぞれ違い、また同じ人の中でも時と場合によっても違ってくる為、絶対的な
指標というものは存在しないことです。

GDPは学者が提示した指標ですが、その他にも各メディア、周囲の人々から多くの
情報に惑わされず、幸せな人生を歩む為には「自分が本当に幸せと感じること」を
ちゃんと分かっておく事が大切なこと
だと思います。


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