Essay エッセー
日々感じたこと思ったことをそこはかとなく日記に書き記して発信していきます。

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12.12.23. 留魂録 (吉田松陰)

講談社から出版されている古川薫氏、全訳注の留魂録(吉田松陰)を読みましたので、
その言葉を借りながら簡単にまとめておきたいと思います。

吉田松陰が書いた『留魂録』は松下村塾で学んだ松陰の門下生ににあてた約5千字の
遺書
と言われています。

1859年10月26日江戸小伝馬上町(現東京都中央区十思公園に位置)の牢内で書き
上げたもので、松陰は同文のものを2通書き上げています。1通は、江戸にいた門下生の
飯田正伯の手に渡りそこから、萩の高杉晋作、久保清太郎、久坂玄瑞の宛名で送り
届けられ、そこから門下生の間でも回覧され、その間に4種類の写本があるそうです。
しかし、原本はいつの間にか所在不明になってしまったようです。
もう1通は、牢名手沼崎吉五郎が松陰から指示されて隠し持っており、明治になって
当時、神奈川県権令だった野村靖に手渡されました。そして、松陰自身が書いた
原本として現存しており、現在は萩市の松陰神社に所蔵され境内の資料館に展示
されています。

遺書が門下生の手に渡る前に司獄官の手で没収されるのではないかと松陰は思い
同文のものを2通作成していた軍学者である松陰の周到な配慮、作戦であり、
この世に自分の魂を留め置こうとする執念と言えるのかも知れません。
その執念が、留魂録の冒頭の「辞世の句」につながるのではないかと思います。

『身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置まし大和魂』

吉田松陰伝はこの本を読んでもらえば分かりますので、その他、松陰が書いた
留魂録の中で、心にのこった文を以下に記しておきたいと思います。


【第一章】

○(原文)
 一白綿布を求めて、孟子の「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」の
 一句を書し、手巾へ縫い付け携えて江戸に来り、是れを評定所に留め置きしも吾が
 志を表すなり。

○(現代語訳)
 (一枚の白木綿の布を求めて、孟子の「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざる
  なり
」の一句を書いて、手拭に縫い付け、江戸にたずさえてきた。そして、
  これを評定所に留めおいたのも自分の志を表すためであった。)


【第三章】

○(原文)
 (幕吏)「汝陳白する所悉く的当とも思はれず、且つ卑賤の身にして国家の大事を
 議すること不届なり。」余亦深く抗せず、「是を以て罪を獲るは万万辞せざる
 所なり」と云ひて已みぬ。・・・・・・
 
 然らば則ち英雄自ら時措の宜しきあり。要は内に省みて疚しからざるにあり
 抑々亦人を知り機を見ることを尊ぶ。吾れの得失、当に蓋棺の後を待ちて
 議すべきのみ。


○(現代語訳)
 ((幕吏)「お前の陳述することがすべて正しいとは思えない。かつ卑しい身分の
  くせに国家の大事を論ずるなどは不届である」・・・・・

  英雄は時と所によって、それにふさわしい態度をとった。大事なことは、おのれ
 をかえりみて疚しくない人格を養うことだろう
。そして相手をよく知り、機を見る
 ということもよく考えておかなければいけない。私の人間としての在り方がよいか
 悪いかは、棺の蓋をおおった後、歴史の判断にゆだねるしかない
。)

【第六章】

○(原文)
 成仁の一死、区々一言の得失に非ず。今日義卿奸権の為めに死す、天地神明照鑑上
 にあり、何惜しむことかあらん。


○(現代語訳)
 (志士が仁のために死ぬにあたっては、このような取るに足らぬ言葉の得失など
  問題ではない。今日、私は権力の奸計によってころされるのである。神々は
  あきらかに照覧されているのだから、死を惜しむところはないであろう
。)

【第七章】

○(原文)
 吾れ此の回初めより生を謀らず、又死を必せず。唯だ誠の通塞を以て天命の
 自然に委したるなり。


○(現代語訳)
 (私はこのたびのことに臨んで、最初から生きるための策をめぐらさず、また
  かならず死ぬとも思っていなかった。ただ私の誠が通じるか通じないか、それ
  を天命にゆだねるつもりだったのである
。)

【第八章】

○(原文) 
 今日死を決するの安心は四時の順環に於て得る所あり。
 蓋し彼の禾稼を見るに、春種し、夏苗し、秋苅り、冬蔵す。秋冬に至れば人皆
 其の歳功の成るを悦び、酒を造り醴を為り、村野歓声あり。未だ嘗て西成に
 臨んで歳功の終るを哀しむものを聞かず。
 吾れ行年三十、一事成ることなくして死して禾稼に未だ秀でず
 実らざるに似たれば惜しむべきに似たり。然れども義卿の身を以て云へば、
 是れ亦秀実の時なり、何ぞ必ずしも哀しまん。何となれば人寿は定りなし、
 禾稼の必ず四時を経る如きに非ず。十歳にして死する者は十歳中自ら四時あり。
 二十は自ら二十の四時あり。三十は自ら三十の四時あり。五十、百は自ら五十
 百の四時あり
。十歳を以て短しとするは蟪蛄をして霊椿たらしめんと欲するなり。
 百歳を以て長しとするは霊椿を蟪蛄たらしめんと欲するなり。斉しく命に達せず
 とす。義卿三十、四時已に備はる、亦秀で亦実る、其の秕たるとその粟と吾が
 知る所に非ず。若し同志の士其の微衷を憐み継紹の人あらば、及り後来の種子
 未だ絶えず、自ら禾稼の有年に恥ざるなり
。同志其れ是れを考思せよ。

○(現代語訳)
 (今日、私が死を目前にして平安な心境でいるのは、春夏秋冬の
 四季の循環ということを考えたからである

  つまり、農事を見ると、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈りとり、冬にそれを
  貯蔵する。秋・冬になると農民たちはその年の労働に収穫を喜び、酒をつくり、
  甘酒をつくって、村々に歓声が満ちあふれるのだ。この収穫期を迎えて、その年の
  労働が終わったのを悲しむ者がいるということを聞いたことがない。
  私は30歳で生を終わろうとしている。いまだ一つも成し遂げることがなく、
  このまま死ぬのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実を
  つけなかったことに似ているから惜しむべきかもしれない。だが、私自身に
  ついて考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのである。
  なぜなら、人の寿命には定まりがない。農事は必ず四季をめぐっていとなまれる
  ようなものではないのだ。しかしながら、人間にもそれにふさわしい春夏秋冬が
  あるといえるだろう。十歳にして死ぬ者には、その十歳の中におのずから四季が
  ある。二十歳にはおのずから二十歳の四季が、三十歳にはおのずから三十歳の
  四季が、五十、百歳にもおのずからの四季がある。

  十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。
  百歳をもって長いということは、霊椿を蝉にしようとするようなことで、
  いずれも天寿に達することにはならない。
  私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけている
  はずである。それが単なるモミガラなのか、成熟した粟の実であるのかは
  私の知るところではない。もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を
  憐み、それを受け継いでやろうという人があるなら、それはまかれた種子が
  絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じない
  ことになろう
。同志よ、このことをよく考えてほしい。
 
【第九章】

○(原文)
 余未だ一面なしと雖も真に知己なり、真に益友なり・・・・
 一心を残し置き給はよ・・・・・
 但し天下の益となるべき事は同志に托し後輩に残し度きことなり・・・


○(現代語訳)
 (まだ一度も会ったことはないが、真の知己であり、真の益友だと思っている。・・
  その心をこの世に残しておかれるように・・・・
  天下の益になることは、同志に託し、後輩の者に残しておきたい・・・・

【第十二章】

○(原文)
 「寧ろ玉となりて砕くるとも、瓦となりて全かるなかれ

○(現代語訳)
 (「玉となって砕けるとも、瓦となって命を長らえることがあってはならない」)



吉田松陰は学問についてこう語っています。

学とは、書を読み古を稽(かんが)ふるの力に非ざるなり。天下の事体に達し、
四海の形勢を審(つまび)らかにする、是れのみ
」。

つまり、机上の空論ではなく、実際の時局に対峙して、世情を明らかにすることだと。

そして、松陰は学問を教えることを通して、人を変え、そして世の中を変えた人
だと思いますが、当時は封建制度が根付く時代の中で門下生を「弟子」ではなく
諸友」と呼び、その松陰の思いは、縦の社会の崩壊が近づき、横の連携が必要な時
であると感じたからかもしれません。師弟の枠を外し、友としての目線で彼らに
対していたそうです。その「諸友」への最終講義が、現代に渡っても読み継がれて
います。

また、何よりも忘れてはならないのは、日本の前途を憂い自ら命を懸けて真剣に生きた
一介の武士の思想が脈々と受け継がれ、江戸幕府を滅ぼし明治へと導いた
ことだと
思います。

その気骨な精神は今でも我々日本人一人一人に宿されていることと信じたい。

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12.12.16. 人生のミッションとビジョン


先日ある企業家のコラムを見ていて『ミッション』『ビジョン』という言葉に
出会いました。

会社を経営したり、会社を企業する場合には、何の為にその事業は存在するのか
(ミッション)
、そして、将来どうなりたいのか(ビジョン)、を明確に示す必要が
あるとのことでした。それらを明確に示さなければ、資源(人・モノ・金・情報
・時間)が分散し求心力を失ったり、あらぬ方向に進み中長期的な事業継続が
難しくなるからだと思います。

一方で、自分自身の人生に於いてはどうか?

自分が生きている役割は何なのか、そして、その役割を通して自分はどうなりたいか
を(自分も含め)真剣に考えている人は少ないのではないかと思います。

それは、毎年、会社が評価の為に社員に作成させる行動計画や達成目標のような
ものではなく、企業で働くという枠組みを外して考えなければいけないものです。
そうしなければ、企業にとっての自分のあるべき姿は何なのか?といった、企業が
先に立った狭い範囲での考えに陥ってしまうからです。

つまり、自分の人生のミッションとビジョンは、自分がこれまで生き、経験して
感じた「思い」や築いてきた「価値観」に依拠して、一人の人間として考え
なくてはいけないもの
だと思います。

結果として、自分が今働く企業のミッションとビジョンと自分の人生のミッションと
ビジョンが合致していればそれは幸せなことだと思います。もし合致していなければ、
その背景は次の3パターンだと思います。
(そもそもミッションとビジョンを意識していない人は以下のケースでは対象外)

 (1)自分の人生のミッションとビジョンが明確になっていないから、
   取り敢えず、今の企業で働いている。

 (2)自分の人生のミッションとビジョンが明確になっているが、
   それを実現する為のステップとして今の企業で働いている。

 (3)自分の人生のミッションとビジョンが明確になっているが、
  今の企業で働く方が条件(お金・福利厚生等々)がよかったり、
  家庭の事情や自身の性格(変化を好まない)の為に企業で働いている。

自分の人生のミッションとビジョンを真剣に考え、答えを見つけた人が、
自分の『生きるテーマ』を見つけることができ、自分という有限の資源を
最大限に生かし切ることができる
のではないかと思います。

私自身への問いかけとして、自問自答していきたいと思います。


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