Essay エッセー
日々感じたこと思ったことをそこはかとなく日記に書き記して発信していきます。

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13.02.24. 原風景 原点に返る場所


新聞の野口健氏のコラムを読んでいて大切な事だなぁと思った記事があったので
その内容を綴りたいと思います。

野口さんは毎年2回は、ヒマラヤに行くそうです。目的はもちろん登頂や現在社会貢献
の一環で取り組んでいる登山家が残したゴミを持ち帰る清掃登山などです。
但し、年末年始だけは別の目的があるそうです。

それは、テーマ、目的を決めずに行って、ぼうっとする時間を持つことです。

日常生活では何かに追われて、頑張っているけれど、自分がどこに向かっているのか
分からなくなってしまう。
「こういう活動をしたらスポンサーに受けがいいかな」
といった計算等々打算的な比重が高くなってくるそうです。

然し、ヒマラヤにいくと「シンプルになれる」
自分が本当にしたいことが何だったか、素直にそのことが考えれるそうです。
清掃活動や自然保護といった活動もこうした中で考えついたとの事でした。

人間は、感覚も考えもぶれる生き物です。

野口さんはこう続けます。

多くの日をテントと寝袋で過ごしているそうですが、そんな不便な生活をしていても、
日本の新幹線でグリーン車で移動が多く、自由席を利用する機会があった時には
「イスが堅い」と思ってしまうそうです。

こういう積み重ねで、人の感覚は変わっていく

ヒマラヤに行くと『ズレた感覚を修正』できる、それをやめると、何か大事なものが
ガラガラと崩れていってしまう、と野口さんは言います。

人は誰しも、自分の考え・思想・感情・哲学を持つに至った体験や経験がある
思います。それは、成功したにしろ失敗したにしろ結果はどうあれ、その結果に
たどり着く過程は往々にして、楽しかったことではなく、辛く涙したり、シンドイ
思いをしたことの方が多いのではないでしょうか?
それらのことが自分の原点となり、無意識に多くの場合に自分の行動判断の基準に
なっている
のだと思います。それはいつも自分の中に存在しているが、いつも意識
するものではありません。

然し、日常の社会・経済活動の中では、「私」という自分個人の考えや感情より、
どうしても合理的・メリットがある事や組織的・集団的な考えを優先してしまったり、
本来の素直な気持ちに反して見栄を張ったり背伸びしたり
してしますのが人間の
性なのだと思います。それは現実の世界で多く起こります。

そんな時に、自分の原点を思い返すことが出来る場所に行ってみるといい。
原点を思い返す場所で、自分の『原風景』を思い出し、自分自身を見つめ、
大切な感覚を思い起こして忘れずにいることは重要
なのではないかと思います。

正義論のジョン・ローズはこんなことを言っています。

「自分の情報が何もないときに、正義を問われた時に思ったことが
本当の正義である」


これは、個人である前に人間である、自分という個人の更に先にある「人間」、
として正義を考えた時に感じた事考えた事が本当の正義である、
としています。

逆に、千差万別の人間の中の一個人としては、次のように言えるかもしれません。

「自分にとって何が大切か、自分はどうしたいのか、を聞かれた時に、
そういった『原風景』に出会える場所に行って、考えた事、感じた事、
それが本当の答えである」


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13.02.17. 判断に迷った時

スタンフォード大学教授のティナ・シーリング氏の本をを読んでいて、
判断に迷った時にどう対処するか?という方法が次のように書かれていました。


「混乱が収まった後になってどう説明するかを考えてみること」
「将来その時の事をどう話たいかを考えればいい」

将来胸を張って話せるように、いまの物語を紡ぐのです。


依然ある方のお話を聞いて仰っていたことと似ているなぁと感じました。
その方が仰っていたのいはこうです。


「自分がとった行動の理由を我が子から聞かれても、恥じない生き方をする」


つまり、一番裏切ってはいけない最も身近な人に対して、きちんとその人の目を見て
自分のとった選択肢やその理由を、胸を張って語れるか、
ということだと思います。

この方は、多くの矛盾正誤の判断が付かないような問題が多く存在する現実社会
や経済活動の中で、二律背反の選択肢の中でどちらかを選択しなければならない
場面に何度も出会い、判断を迫られた経験があるからこそ、上述の様なことを考え
ていたのだと思います。とても深淵な言葉だと思い、手帳に書き記していました。


13.02.16. 選択日記(コロンビア大学・シーナ・アイエンガー)

以前、NHK教育で放送されていたアメリカ・コロンビア大学シーナ・アイエンガー氏の
授業を欠かさず見ていたので、ハードカバーの本を買いましたが、まだ手をつけておらず、
ポイントを抜粋した本をが読んで纏めてみました。

この本の特徴は、毎回右ページに自分が下した選択を記入する欄が設けられて
いることです。「適切な選択をできるようになるためには、自分が行った選択を
そのままにしておかずに、『書き留め』、その結果を折にふれて『評価』する、
その『反復』が必要だ」
との主旨のもと、自分の下した選択を日記のようにつけて
いくようになっています。

『人間の選択』には元来、以下の①②の2つの方法があるとされていましたが、
著者は第三(③)の選択方法があると指摘しています。

 ①「理性による選択」:条件を一つ一つ検討して決める
 ②「直感」:その時自分の感じたように決める
 ③「経験にもとづく直感」:①と②の両面をあわせ持つ

その第三の選択に関して、2人の例を挙げて説明しています。

一人は、アメリカの元海兵隊中将でベトナム戦争を指揮した経験のあるポール・
バン・ライパーという人は、戦場で常にメモをとっていたそうです。記録をし、
それを折にふれ見直し、自らの判断を検証してた
のです。それを何度も積み重ね
ていくうちに、それらが血肉となり、様々な戦況における的確な『選択』が
『直感』のようにできるようになったのです。

もう一人は、15年間もの間、世界タイトルを保持し続けたチェスプレイヤー
ゲリー・カスパロフです。彼は、コンピューターのように8手先まで読んで
チェスをさしている訳ではなく、第三の選択である経験に基づく直感に
を使っている
としています。

それぞれの内容を抜粋し、加筆修正の上簡単に纏め直してみました。

■動物園の動物はなぜ寿命が短いか

タイトルの答えは、動物園では野生のときのような「選択」ができないから
ということが研究で分かってきた
ようです。動物園での生活は、動物に最も深く
刻み込まれた生存本能とはまったく相容れないもの
なのです。
その結果、野生のアフリカ象の平均寿命は56歳ですが、動物園は17歳。更に、
動物園の動物は、過剰な毛づくろいや、意味のない往復運動などの神経症状が
表れたり、出生数の減少、高い乳児死亡率といった問題も起こっているそうです。

またここでは取り上げませんが、老人ホームでの実験から、選択できないことが
健康に悪影響をもたらす
のは、人間にも言えるとのことです。

そこで筆者は、日常生活のどんなことでもいいので、「選択」しているという
意識
を持ち、そうした選択を繰り返すことで「自分は環境をコントロールできて
いる」という意識を高めること
で健康的な生活を送ることができる、としています。

■社長はなぜ長生きするのか

このタイトルの答えも選択に関係していて、職業階層が高いほど「自己決定権」
つまり、自分の仕事を自分で決める権利が大きいことと関係がある
とのことです。
リーダー的立場にいる人は、部下の仕事に大きな決定権を持っており、更に
自分の裁量で能動的に創造性を発揮しながら仕事に取り組むことができ、よい
仕事をした時には大きな満足感を得られました。
一方で、部下となる人たちは自分で判断し、処理する裁量の度合いが小さければ
小さいほど、勤務中の血圧は高くなりました。

ある研究で次の事分かりました。
健康に最も大きな影響を与えていたのは、実際にもっていた決定権の大きさでは
なく、自分にどれだけ決定権があるかという「認識」でした。
全く同じ仕事でも、自分に仕事の自由度があると感じる人もいれば、全くないと
感じる人がいました。そして、自由度が大きいと感じている人ほど、健康状態は
良好
でした。つまり、選択しているという「意識」「認識」が重要ということです。

こもことは、部下や子供に対してどう接するか、大切な事を示唆しています。
理由を示さずにあれこれ細かく指示することはよくありません。
ある程度裁量権を持たせることで、部下はやる気が、そして子供は、あれこれ
言わなくても進んでやるようになります。

■制約のあるところにこそ選択がある

人生における選択は、全て自由に選べることはありず、必ず、その限界や、制約が
あり、見ようによっては「選択」などしようがない
、と思える場合もあります。

例えば、登山家のアローン・ラルストンはあたまって360キロの巨大な岩とともに
渓谷に落ち、右手を岩に挟まれてしまします。彼は宙吊りのまま岩から手を引っ張り
出すこともできずにいました。その状態で彼がしたことは、自分の腕を切ること
でした。皮膚や筋肉をナイフで切りやすくするために、激痛に耐えながら、手で
骨にヒビを入れます。そこから腕をナイフで切っていきました。多量に出血
しながらも10キロ歩いたとことで通りかかった人に救出されたのでした。
そのまま死ぬか、腕を切り落としてでも、生きるか、ひどい選択ですが、
ひとつの選択の在り方を意味しています。

それは、自分の周りには様々な制約や限界があります。然し、その制約や限界も
様々な角度から検討することで、見えなかった「選択肢」が開けてくる
ものなのです。

■「誰が選択をするのか」という問題

個人主義の社会では、選択をする際、まず「私」を中心にして考えます。
一方で、集団主義の社会では、選択する際、「私たち」を優先して考え、自分を
家族、職場、村、国など自分の属する集団との関係性
で捉えます。

どちらが良いか、とは一概いは言えないと思いますが、両親が決める「見合い結婚」
は、時が立つほど恋愛感情が弱まる(70点→40点)一方で、自分自身が決める
「恋愛結婚」は冷たく始まるが熱くなっていく(58点→68点)といった結果もあります。

■選択の代償

危篤状態の子供の治療を続けるか否か、という時に、医師に決めてもらうのがよい
のか、自分たちで決めるのがよいのか。
アメリカでは、医師はあくまでも治療方針を決めさせるのに対して、フランスでは
はっきりとして異議申し立てがない限り医師が決めることになっています。
延命治療中止後に子供を亡くした親たちの調査では、自ら選択を下したアメリカ
の夫婦の方は、「私は、この手で判断を下したという罪悪感を一生かかかえる」と
後で長く苦しむことが分かりました。
他方、フランスの親たちは「こうするしかなかった」という確信を口にして、
「息子は私に色んなことを教えてくれた」と赤ちゃんと過ごした良い思いでを
語ってきうれた人もいました。

そうしたアメリカの夫婦でも、医師が、選択肢に医師なりの優劣を付けた場合
その後の苦しみが軽減されることが分かりました。
「選択」の結果を受け入れがたいと考えいるのであれば、他人に意見を聞く
ということは、有効な薬になる
のです。 

■8つのバイアス

 ①「選択は偏った記憶に影響される」ことを理解しておく
 
  選択をする時、人は近道をしようとします。これが直感を使った選択です。
  直感が判断の拠り所とするのは「記憶」です。然し、人は記憶の中の取り出し
  やすい情報に注目、重視する為、偏る可能性
があります。例えば、次の通り。

  (1)感覚・感情 →赤色は記憶に残りやすく、実際には灰色のネクタイの方が
           使用率が高くても、赤色のネクタイの方が多いと感じる
  (2)順序    →最初と最初に出てきたものは一番思い出しやすい。
           面接でのは最初と最後の志願者に関心が集まりがち
  (3)頻度    →何度も接すると、身近に感じ、好意的な感情を持つ
          ようになる。テレビで何度も出てくる人に好意を持つといった。

 ②「選択は情報の枠組みに左右される」ことを理解しておく

  情報をどう提示するか、どの枠組みにするかで選択肢に対する見方が大きく
  異なってきます。逆に、情報をどう提示されたかによって、選択肢に対する
  見方が大きく変わります。

  例えば、ガンを治療する方法として、手術と放射線治療のどちらが望ましいか
  を選んでもらいました。

  あるグループには「生存率」という枠組みでデータを提示しました。
 
              (術中/治療中)   (5年後)   
   手術の生存率   →    90%       34%
   放射線治療生存率 →   100%      22%

  別なグループには「死亡率」という枠組みでデータを提示しました。
   
              (術中/治療中)   (5年後)   
   手術の死亡率   →    10%       66%
   放射線治療死亡率 →   0%      78%

  「生存率」「死亡率」は表裏の関係で全く同じ内容となっているにも関わらず
  「生存率」のデータを示されたグループは、手術を選んだ人が75%多く、
  放射線治療を選んだ人は25%に過ぎませんでした。
  一方で「死亡率」のデータを示されたグループは、手術が57%、放射線治療が
  42%となったのです。手術中の死亡率が強調された為に、長い目で見た生存率
  を犠牲にしてまで、放射線治療を選ぶ人が大幅に増えたのです。

  情報の提示の仕方を変えることで、よい方向へ持って行くこともできます。
  例えば、1981年にコカコーラのCEOに就任したロベルト・ゴイズエタは
  ソフトドリンク市場で45%のシェアに安住する経営陣にこう問いかけました。

  「世界の全人口の水分摂取量に対するコカコーラのシェアは何%か」

  答えは、わずか2%だったのです。
  問題や情報を異なる枠組みで捉え直すことで、経営陣に発破をかけたのです。

 ③「人は自分がどう見られたいかを基準に選択する」ことを理解しておく

  人はその他大勢と見られることに我慢ならないのです。つまり、度を過ぎない
  程度で個性的でありたい、人に個性的だと見られたい
と思っています。
  一番心地よく感じるのは、「その他大勢と同じではないが、特殊過ぎない位置」
  ということです。

  例えば、前を評価してもらったところ、「ややユニーク」な選択肢を高く
  評価する一方「非常にユニーク」なものには否定的な評価を与えたのです。

  つまり、人は大勢の人より目立ちたいが、奇抜で孤独な少数はにはなり
  たくない。その結果、時には他人の目を気にして、自分の意に沿わない
  選択をすることがあることを意味
しています。
  
 ④「自分に対して彼我の認識に差がある」ことを理解しておく

  どんな能力であれ、自分を平均以下と評する人は全体の僅かな割合でしかない
  ことが、様々な研究で報告されているそうです。
  ※この現象は「全ての男性がハンサムで、全ての子供たちが平均以上」という
   架空の町にちなんで「レイク・ウォビゴン効果」と呼ばれているそうです。
  然し、現実には、私たちが時に他人の自分に対する評価を聞いてショックを
  受ける時があるのは、上述のようなバイアスにとらわれているからと言えます。

  コロンビア大学ビジネススクールでは「360度評価」を取り入れているそう
  ですが、九割以上の学生が、自他の著しい評価のギャップを知りショック
  を受けるのも同じバイアスと言えます。

  彼我の認識の差が生じるのは、自分の行動の背景にある意図が分かっている
  から、自分の行動を正当と考えるが、実際には、人は自分の見るものにだけ
  反応する
から
です。 
 
  彼我の認識の差を知る方法として以下を挙げています。(360度評価以外で)
 
  (1)自分の行動に対するリアクションをよく観察する
  (2)時には、どう思ったかを聞いてみる


  (1)(2)を実践し検証していくことで、自分の評価は随分変わってくるそうです。
 
  また、彼我の認識の差を埋める方法として以下を挙げています

  (1)意識して自分の行動を変えてみる。
   (周囲が自分の行動で判断することを念頭に置いて)
  (2)自分の行動の意味を説明するよう心掛ける

  注意すべき点として、自分がやろうとしていることを誤解なく伝えるという
  スタンスに立つことが大切
で、実際の自分より良く見せようとすると、かえって
  他人の評価は落ちることを肝に命じておく必要があります。
  

 ⑤「人は見たいものを見ようとし、知りたいことを知ろうとする」ことを理解しておく

  タイトルの現象は「確認のバイアス」と言われており、人間には既に持っている
  信念を裏付けようとする傾向や、逆に自分の信念の誤りを証明しかねない情報を
  退けてしまう傾向
があります。

  特に、専門家と言われる人は、自分の考えを裏付けるような情報のみを受け入れ
  逆に、自分の考えに反する情報に接すると、あら探しをしてそれが間違っている
  と決めつける傾向がありました。自分の予測に自信をもっていた専門家ほど
  予測の精度は低い傾向にありました。

  このバイアスへの処方箋は、次の通りです。

  (1)自分にとって都合の悪いことも直視してみる
  (2)反対の意見に対しても曇りのない気持ちで検証してみる
  (3)都合が悪い事、反対意見、判断すべき内容が実践できるなら実際にやってみる
  (4)判断すべきことが人であれば、一緒になって行動してみる


 ⑥「長期的利益よりも短期的利益が優先されがち」であることを理解しておく

  人は判断を下す時、2つの脳回路を使って、情報を処理し、答えや判断を
  導きます。
  
  (1)「自動システム」→目先の欲望にストレートに反応する
  (2)「熟慮システム」→論理や理性を働かせ、長期的利益を考えて行動させる

  1960年代に行われた有名な「マシュマロテスト」があります。
  4歳の子供にマシュマロを一つ渡して、こう言います。
  「私が戻ってくるまでに食べるのを我慢できたら、もう一つマシュマロをあげる。
   でもどうしても我慢できなくなったら、ベルを鳴らしてね」

  結果は7割の子供があ、我慢できずにベルを鳴らしました。
  一方で、15分我慢して、戻ってきてマシュマロを2つもらうことができた
  残りの3割の子供は、10年後の追跡調査では、強い友情で結ばれ、困難な状況
  に適切に対処する力があり、行動上の問題が少なかったそうです。更に、
  テストのスコアも高く、結果として社会的地位も高かったようです。

  この結果から自制心」は人生に於いて軽視してはならない重要な性質の
  一つであると言えます。
 
 ⑦「脳の錯覚が、直感・判断に影響する場合がある」ことを理解しておく。

  認知の「自動システム」は条件反射的に、無意識の内に働く為、時に厄介な
  影響をもたらすことがあります。

  (1)外見・容姿と能力の錯覚
   選挙の候補者選びで、外見が能力とは無関係であることは頭では理解して
   いるが、アメリカの選挙で選ばれる公務員は、人工全体の平均に比べて
   身長は10cm高く、禿でない確率も高いことが示されています。

  (2)恐怖心と恋愛感情の錯覚
   恐怖心と恋愛感情は全くの異質なものですが、身体に及ぼす影響は良く
   似ています。心拍数が上がり、手のひらに汗をかき、動悸が激しくなります。
   その結果、吊り橋を渡ったりする恐怖心と恋愛感情を、脳が混同することが
   あります。

  
  また、「"関連づけ"で脳が刺激される」錯覚する場合があることも理解しておく
  必要があります。

  (3)過去の関連づけによる錯覚
   コカコーラの画像を見てから、実際にコカコーラを飲んでもらい、次に
   なんの関係のない電飾の画像を見てから、コカコーラを飲んだ人では、
   同じものを飲んだにも関わらず、75%の人が前者の方が美味しかったと
   答えました。
   その時の脳の働きを調べたところ、過去の感情体験を参照する時に用い
   られる部位(海馬と前頭前野背外側)が活発に働いていました。つまり、
   過去の記憶・感情を呼び覚ましながら、呼び覚ますからこそ、美味しい
   と感じていることになります。

  (4)憧れの人と関連づけによる錯覚
   セレブが身につけている服や装飾品と同じものを自分も買って身に
   つけていると、自分の魅力が増したような気がする。
   ※"関連づけ"によって、人の欲求が刺激されることを「プライミング」
     と呼ぶそうです。

  脳が錯覚に陥っていないか、冷静な気持ちで考え、検証することを忘れては
  いけません。

 ⑧「選択肢が多すぎると正しく選べない」ことを理解しておく

  人間の知覚判断には、限界があります
  1956年に発表された「マジカルナンバー7±2」が手がかりを与えてくれます。
  どんな知覚でも5~9(7±2)しか対処できず、それを超えると知覚の誤りを
  犯しがちになる
ことが分かっています。

  試食コーナーで、6種類のジャムと24種類の品揃えした場合の売り上げを
  比較したみました。(2)の売上げは(1)の1/6で、選択肢が多すぎると売り上げ
  が下がるという結果になりました。

         (試食割合)       (購入割合)
  (1)6 種類   40%    その内→    30%
  (2)24種類   60%   その内→     3%

  選択を行う時、認識し、比較して違いを見つけ、自分の下した評価を記憶し、
  その評価を元に優先順位を付けます。

  然し、処理能力の限界のせいで、選択肢が増えるにつれ、選べなくなるのです。

■バイアスに抗する方法

 ①「経験に基づく直感(Informed Instuition)」を"実践"と"検証"で磨くこと
  (PDCAサイクル)

 
  ある教授は、人が嘘をついている場合の映像を何度も見て、嘘をつく際に
  反射的に現れる「微表情」を捉え、嘘を見破ることが出来るようになりました。
  また、チェスプレーヤーは、ある判断をする時、必要のない選択肢を瞬時の内に
  切り捨てているのです。

  そうした「直感」は、長期間に渡って自分の下した判断の成否を検証してきた
  からこそ育っていったのです。
  つまり、実践と自己批判の繰り返しによって「直感」のようにして「経験の
  積み重ね」を使うことができる「経験に基づく直感」を育て
、選択の力を
  養います。

 ②誘惑に負けない選択肢を「習慣化」すること

  先に出てきた「マシュマロテスト」で、誘惑に勝った子供たちがしていた事は
  「誘惑の対象から気をそらす」という戦略を一様にとっていました。
 
  (1)手で覆ってマシュマロを見ないようにする
  (2)別な事(おもちゃで遊ぶ)を想像する
  (3)マシュマロを雲だと考える


   また、「誘惑から気をそらす」ことを意識的に用いることで効果が得られる事
  が分かっています。

  例えば、(1)子供におもちゃを与える(2)マシュマロに蓋をかぶせる等です。

  ここから言えることは、「選択の余地をなくす」ことで誘惑を避けることが
  できると言えます。例えば、家にお菓子を置かない、家で勉強せず図書館に
  いく等が挙げれます。更に、その選択を「習慣化」してしまうことで、
  選択するかしないかといった「選択の問題にしない」ことが必要な選択を
  継続させる秘訣
です。
  
 ③誘惑を禁止するにしても「裁量の余地をのこしておく」こと

  誰もが、物事を禁じられると、返って一層それをしたくなるものです。
  この反応は「心理的反発(リアクタンス)」と呼ばれています。
  選択は欲求ですから、人は何かを禁じられるとと、選択の自由を奪われたと
  感じ、強い反発
を覚えます。

  例えば、一番人気のロボットのおもちゃで遊ぶ事を、次の2パターンで
  禁止しました。

  (1)遊んだらお仕置きすると伝える
  (2)遊んでは行けないと軽く牽制のみ伝える

  結果は(1)の子供は、お仕置きを恐れて、ロボットには近づこうともせず、
  自分たちには、遊ぶか遊ばないかの選択肢の決定権はないと考えたと
  思われます。1週間後には、ロボットのおもちゃで前にも増して遊びたがり
  ました。

  (2)の子供は、ロボットの近くに寄っていき、手に取ろうとして迷い、最後に
  手を引っ込めました。迷ったという事実から、最終的には自分の意思で遊ば
  ないことを選択したと思われます。1週間後には、彼らは前ほどロボットの
  おもちゃに興味を示しませんでした。

  子育てに於いて、子供にやらせたくないことは、禁止しつつも、裁量の余地
  を若干残して於くことで、心理的反発を小さくし、やらない選択を自分で
  下したという自覚を持たせること
が大切
です。

 ④選択の際、「感情的な側面も含め」その選択がどの様な意味を持つか考えること
  
  上記テーマは、ビジネス上で選択を検討する際に良く使われるプロコンリスト
  (Pros and Cons lists)の欠点
から言えるとても大切な事です。

  就職活動を例に言えば、プロコンリストでは、給与や企業ランキングは比較
  しやすいですが、職場の雰囲気や同僚との相性等は、数値化して比較検討する
  ことは難しい
のです。

  プロコンリストに限らず、理性で行う選択には、致命的な欠点があります。
  それは、具体的なもの、定量化できるものに限ったものに偏ったデータに
  頼っていること
です。(理性的な分析は、実は感情面がないがしろにされ
  偏っている場合が多い) 

  ある一定の所得を持つと、所得の上昇は幸福度にそれほど影響しなくなる
  という調査からも、定量データのみで判断できない場合があると言えます。
  また、就職活動で、就職先をとことん分析して「理性で選んだ」学生は
  面接に呼ばれる回数、勝ち取った内定数は多く、年収は2割程高い事が
  わかりました。然し、「直感に任せて選んだ」学生の方が全体的な満足度
  が高い結果となりました。

  自分が下した判断と結果に、満足しているか、その気持ちも含めて書くこと
  を繰り返すことで、「理性」と「直感」の間の「最適解」のゾーンが無意識
  に見えてくるはずです。

 ⑤選択肢が多い時は「選択肢を絞る」「分類する」「他者の力を借りる」こと

  選択肢が多いと3つの次の弊害が生じます。

  (1)選べなくなる。 e.x.ジャムの実験
  (2)選択肢が多い程、ひどい選択をするようになる。
   e.x.ブッシュ政権で医療保険改革を行ったが、選択肢が複雑過ぎて、
     かえって人が入らなくなったのです。
  (3)選択肢が多すぎると、人は選んだ結果に満足しない傾向があります。
   e.x.景気が悪い時に就職した人は、選択肢の豊富な景気の良いときに
     就職した人よりもより満足する傾向にあります。

  ●「選択肢を絞る」

  P&Gは、26種類あったシャンプーの内、売上げの少ないものを廃止して
  15種類に絞ったところ、売上げは10%も跳ね上がった。
  また、マッキンゼーは「3 X 3 ルール」を採用するようになりました。
  まず、クライアントに3つの選択肢の中から選んでもらい、そこから更に
  次の3つの選択肢にいく、といった具合です。

  ●「分類する」

  自分の選択のツリーを作っていく。しかもそのツリーは選択肢の少ないもの程
  最初の選択におく
とよい。
  ある大手自動車メーカーでは、一覧表からオプションで多くのパーツを選んで
  車をオーダーメイドで作れるようになっていました。選択肢の多いオプション
  から順に選んだグループは、すぐに疲れてしまい、既定のオプションで済ませる
  ようになりました。結果として満足度は低くなった事は、上述の大切さを示して
  います。

  ●「他者の力を借りる」

  ワインの専門店では、発泡酒、瑞々しい、甘口、辛口等々で分類されていますが
  「専門の店員」に聞けば、もっと分かりやすく教えてくれます。
  また、インターネット買い物をする際、カスタマーレビューを見て、数の多い
  ものを絞り込んで選択するという「集団の知恵」を利用する
こともできます。

 ⑥選択の際、異なる価値体系があることを知っておく

  例えば、アメリカの様な資本主義社会では、各人が授かった能力を何にも
  制約されず発揮するために「機会の平等」が与えられるべきと考えられて
  います。
  他方、共産主義社会、スカンジナビア諸国の様な福祉国家では、課税を通して
  富を再分配し、不平等を是正することが重視され、「結果の平等」の社会を
  目指します。
  これは、異なる尺度を使って成功や幸せを定義し、測っていて、どちらが
  正解とった答えがあるわけではありません。
  然し、常に異なる価値体系について考えることで、自他をよりよく理解
  よりよい選択ができると考えます。

 ⑦理想と現実のギャップを克服する為に「一貫性のある物語をつくる」こと

  就職活動中の学生が、どのような条件を重視するかという調査を行いました。
  
  活動を始めてまもない頃は、「創造性」「意志決定の自由」といった理想的、
  抽象的な項目を高く評価する傾向にありました。2回目の調査では、「昇進の
  機会」「雇用の保障」といった現実的な条件が高く評価されました。
  就職先が決まった後の3回目の調査でもっとも評価が高かった評価は「収入」
  でした。
  
  多くの学生は、自分の優先順位が変化したことを認めませんでした。
  しかも、自分の優先順位が最初から変わっていないと認識していた人ほど
  自分が選んだ仕事に対する満足度が高かった
のです。

  選択の結果を、納得いくものだとする「物語」をつくること、それによって
  理想と現実の不一致を解消するのです。

  「物語」の創り方として最適なものは、真実、道徳律、何らかの理想の追求
  といったより高次のレベルの目標と、選択の結果の一貫性を図ること
です。

  「人生を幸せだと思える人は、自分が欲しいものを手に入れた人ではなく
   手に入れたものを欲しいと思える人が幸せなんだよ」

■成功した人に共通する資質

 ①選択肢が一見ないように見えるところにも、選択肢を見つけることが出来る人。

 ②継続する意志です。
 
 ビル・ゲイツは、こんなことを言っています。

 「1つの事を、1万時間やり続ければ、その道で一流になれるというが、それだけ
  ではない。実際には、50時間を費やした後で9割の人が、好きになれない、
  向いていないといった理由で脱落する。さらに50時間を費やした人の9割が
  あきらめる。このサイクルが繰り返される。運だけでなく、続ける熱意
  必要だ。1万時間費やした人は、やり遂げるという意思を持って、何度も
  選び続け、様々な過程の中で選ばれた人なのだ。」

 アルベール・カミュは「人生とは、全ての選択が積み重なったもの」という
 言葉を残しました。

 最後に筆者はこう書き記しています。

 「私たちは、自分が何者であるかを知るために、選択をするのだ」
 

12.12.23. 留魂録 (吉田松陰)

講談社から出版されている古川薫氏、全訳注の留魂録(吉田松陰)を読みましたので、
その言葉を借りながら簡単にまとめておきたいと思います。

吉田松陰が書いた『留魂録』は松下村塾で学んだ松陰の門下生ににあてた約5千字の
遺書
と言われています。

1859年10月26日江戸小伝馬上町(現東京都中央区十思公園に位置)の牢内で書き
上げたもので、松陰は同文のものを2通書き上げています。1通は、江戸にいた門下生の
飯田正伯の手に渡りそこから、萩の高杉晋作、久保清太郎、久坂玄瑞の宛名で送り
届けられ、そこから門下生の間でも回覧され、その間に4種類の写本があるそうです。
しかし、原本はいつの間にか所在不明になってしまったようです。
もう1通は、牢名手沼崎吉五郎が松陰から指示されて隠し持っており、明治になって
当時、神奈川県権令だった野村靖に手渡されました。そして、松陰自身が書いた
原本として現存しており、現在は萩市の松陰神社に所蔵され境内の資料館に展示
されています。

遺書が門下生の手に渡る前に司獄官の手で没収されるのではないかと松陰は思い
同文のものを2通作成していた軍学者である松陰の周到な配慮、作戦であり、
この世に自分の魂を留め置こうとする執念と言えるのかも知れません。
その執念が、留魂録の冒頭の「辞世の句」につながるのではないかと思います。

『身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置まし大和魂』

吉田松陰伝はこの本を読んでもらえば分かりますので、その他、松陰が書いた
留魂録の中で、心にのこった文を以下に記しておきたいと思います。


【第一章】

○(原文)
 一白綿布を求めて、孟子の「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」の
 一句を書し、手巾へ縫い付け携えて江戸に来り、是れを評定所に留め置きしも吾が
 志を表すなり。

○(現代語訳)
 (一枚の白木綿の布を求めて、孟子の「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざる
  なり
」の一句を書いて、手拭に縫い付け、江戸にたずさえてきた。そして、
  これを評定所に留めおいたのも自分の志を表すためであった。)


【第三章】

○(原文)
 (幕吏)「汝陳白する所悉く的当とも思はれず、且つ卑賤の身にして国家の大事を
 議すること不届なり。」余亦深く抗せず、「是を以て罪を獲るは万万辞せざる
 所なり」と云ひて已みぬ。・・・・・・
 
 然らば則ち英雄自ら時措の宜しきあり。要は内に省みて疚しからざるにあり
 抑々亦人を知り機を見ることを尊ぶ。吾れの得失、当に蓋棺の後を待ちて
 議すべきのみ。


○(現代語訳)
 ((幕吏)「お前の陳述することがすべて正しいとは思えない。かつ卑しい身分の
  くせに国家の大事を論ずるなどは不届である」・・・・・

  英雄は時と所によって、それにふさわしい態度をとった。大事なことは、おのれ
 をかえりみて疚しくない人格を養うことだろう
。そして相手をよく知り、機を見る
 ということもよく考えておかなければいけない。私の人間としての在り方がよいか
 悪いかは、棺の蓋をおおった後、歴史の判断にゆだねるしかない
。)

【第六章】

○(原文)
 成仁の一死、区々一言の得失に非ず。今日義卿奸権の為めに死す、天地神明照鑑上
 にあり、何惜しむことかあらん。


○(現代語訳)
 (志士が仁のために死ぬにあたっては、このような取るに足らぬ言葉の得失など
  問題ではない。今日、私は権力の奸計によってころされるのである。神々は
  あきらかに照覧されているのだから、死を惜しむところはないであろう
。)

【第七章】

○(原文)
 吾れ此の回初めより生を謀らず、又死を必せず。唯だ誠の通塞を以て天命の
 自然に委したるなり。


○(現代語訳)
 (私はこのたびのことに臨んで、最初から生きるための策をめぐらさず、また
  かならず死ぬとも思っていなかった。ただ私の誠が通じるか通じないか、それ
  を天命にゆだねるつもりだったのである
。)

【第八章】

○(原文) 
 今日死を決するの安心は四時の順環に於て得る所あり。
 蓋し彼の禾稼を見るに、春種し、夏苗し、秋苅り、冬蔵す。秋冬に至れば人皆
 其の歳功の成るを悦び、酒を造り醴を為り、村野歓声あり。未だ嘗て西成に
 臨んで歳功の終るを哀しむものを聞かず。
 吾れ行年三十、一事成ることなくして死して禾稼に未だ秀でず
 実らざるに似たれば惜しむべきに似たり。然れども義卿の身を以て云へば、
 是れ亦秀実の時なり、何ぞ必ずしも哀しまん。何となれば人寿は定りなし、
 禾稼の必ず四時を経る如きに非ず。十歳にして死する者は十歳中自ら四時あり。
 二十は自ら二十の四時あり。三十は自ら三十の四時あり。五十、百は自ら五十
 百の四時あり
。十歳を以て短しとするは蟪蛄をして霊椿たらしめんと欲するなり。
 百歳を以て長しとするは霊椿を蟪蛄たらしめんと欲するなり。斉しく命に達せず
 とす。義卿三十、四時已に備はる、亦秀で亦実る、其の秕たるとその粟と吾が
 知る所に非ず。若し同志の士其の微衷を憐み継紹の人あらば、及り後来の種子
 未だ絶えず、自ら禾稼の有年に恥ざるなり
。同志其れ是れを考思せよ。

○(現代語訳)
 (今日、私が死を目前にして平安な心境でいるのは、春夏秋冬の
 四季の循環ということを考えたからである

  つまり、農事を見ると、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈りとり、冬にそれを
  貯蔵する。秋・冬になると農民たちはその年の労働に収穫を喜び、酒をつくり、
  甘酒をつくって、村々に歓声が満ちあふれるのだ。この収穫期を迎えて、その年の
  労働が終わったのを悲しむ者がいるということを聞いたことがない。
  私は30歳で生を終わろうとしている。いまだ一つも成し遂げることがなく、
  このまま死ぬのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実を
  つけなかったことに似ているから惜しむべきかもしれない。だが、私自身に
  ついて考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのである。
  なぜなら、人の寿命には定まりがない。農事は必ず四季をめぐっていとなまれる
  ようなものではないのだ。しかしながら、人間にもそれにふさわしい春夏秋冬が
  あるといえるだろう。十歳にして死ぬ者には、その十歳の中におのずから四季が
  ある。二十歳にはおのずから二十歳の四季が、三十歳にはおのずから三十歳の
  四季が、五十、百歳にもおのずからの四季がある。

  十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。
  百歳をもって長いということは、霊椿を蝉にしようとするようなことで、
  いずれも天寿に達することにはならない。
  私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけている
  はずである。それが単なるモミガラなのか、成熟した粟の実であるのかは
  私の知るところではない。もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を
  憐み、それを受け継いでやろうという人があるなら、それはまかれた種子が
  絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じない
  ことになろう
。同志よ、このことをよく考えてほしい。
 
【第九章】

○(原文)
 余未だ一面なしと雖も真に知己なり、真に益友なり・・・・
 一心を残し置き給はよ・・・・・
 但し天下の益となるべき事は同志に托し後輩に残し度きことなり・・・


○(現代語訳)
 (まだ一度も会ったことはないが、真の知己であり、真の益友だと思っている。・・
  その心をこの世に残しておかれるように・・・・
  天下の益になることは、同志に託し、後輩の者に残しておきたい・・・・

【第十二章】

○(原文)
 「寧ろ玉となりて砕くるとも、瓦となりて全かるなかれ

○(現代語訳)
 (「玉となって砕けるとも、瓦となって命を長らえることがあってはならない」)



吉田松陰は学問についてこう語っています。

学とは、書を読み古を稽(かんが)ふるの力に非ざるなり。天下の事体に達し、
四海の形勢を審(つまび)らかにする、是れのみ
」。

つまり、机上の空論ではなく、実際の時局に対峙して、世情を明らかにすることだと。

そして、松陰は学問を教えることを通して、人を変え、そして世の中を変えた人
だと思いますが、当時は封建制度が根付く時代の中で門下生を「弟子」ではなく
諸友」と呼び、その松陰の思いは、縦の社会の崩壊が近づき、横の連携が必要な時
であると感じたからかもしれません。師弟の枠を外し、友としての目線で彼らに
対していたそうです。その「諸友」への最終講義が、現代に渡っても読み継がれて
います。

また、何よりも忘れてはならないのは、日本の前途を憂い自ら命を懸けて真剣に生きた
一介の武士の思想が脈々と受け継がれ、江戸幕府を滅ぼし明治へと導いた
ことだと
思います。

その気骨な精神は今でも我々日本人一人一人に宿されていることと信じたい。

12.11.25. 出藍の誉れ


「子貢問いて曰く、一言にして以て終身之を行う可き者有りや、と。
 子曰く、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ、と。」

論語に出てくる有名に文ですが、現代語訳すれば以下の通りです。

「子貢が質問した。生涯行うべきものを、一文字で表せましょうか、と
 老先生はお答えいなられた。それは恕だな。自分が他人から受けたく
 ないことは他人にもしないことだ、と」

ここでの「恕」は「思いやり」を表すわけですが、孔子は人生で取り組むべき
ことを「相手を思いやること」と答えていて、その後に自分が嫌だと思うことは
他人にもしてはいけない、と説いています。つまり、自分が不快に感じたり、
マイナスの感情を抱く行為は、相手も当然同じ感情を抱くので、行ってはならない、

としているわけですが、この意味を自分は少し取り違えていました。

会社の中で時々、自分が出来もしないことを部下に平気で要求してくる人を
見かけるのは私だけではないと思います。これに対して、私自身は自分が
出来もしないことを他人に要求してはいけない、先ず、自分が出来るように
なって率先垂範すべき、との考えて持っていました。それは、論語に出てくる
上述の内容と同義だと思っていました。

然し、ある雑誌でアサヒビールの福地茂雄さんの記事を読んで誤解していたこと
に気が付きました。

30代中頃に管理職になった福地さんは、支店長から抱負を聞かれこう答えました。
「自分が出来ることは、部下にも徹底して求めます。自分が出来ないことを
部下に求めることは卑怯だと思うので出来ません」
と。
それに対して、支店長は「それでは管理職としては落第だよ。君のコピーばかり
になってしまう」
と福地さんを叱ったそうです。

上司が出来ることしか求めないのであれば、部下は上司以上に成長することはない。
その為、部下の為を思って、部下の成長を考えるのではあれば、自分が出来ない
ことでも部下に求めるべき時があるとの意見でした。


また、その事をプロ野球に例えて上手く説明されています。

「王貞治さんは4番バッターでしたが、監督になれば打撃だけを見ればよいという
 わけではない。監督になった以上は全てのポジションに対して一流を求める。」


人を育てるとはそう言う事であって、やらせてみる度量を持って部下の能力を
伸ばす必要があると説いています。

さて冒頭の孔子の言葉「己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ」に戻ると、
この言葉はあくまでも「自分がマイナスな感情や嫌な思いをすることは
他人にはしてはいけない」と説いていて、プラスの感情や、相手への期待で
ないこと
がポイントだと思います。

相手の成長段階を見極め、それに応じた適正な度合い(程度)と内容であることが
前提ですが、それが前提であるならば、「相手に期待することは、相手に求めて
もいい」
、それが自分以上の人を育てる度量なのだと理解しました。

「己が期待する所は、相手に求めよ」

会社の組織もそうですが、教育に携わる方や子供を持つ親に、人を成長させる際の
有用な心構えになるのではないかと思います。
(相手の為を真に思うこと、求める度合い、時と場合の見極めをきちっと行う
ことを前提として。呉々も都合のよいように解釈なさらないようにして下さい)

この度量、心構えが「出藍の誉れ」「青は藍より出でて藍より青し」の言葉の通り
自分を越えていく人を育成できるのはないかと思いました。 


最後に、福地さんが管理職の立場にある人に必要だと仰っていることを記載して
終わります。

 ①部下に顔色を読まれるな、信念を突き通すまっすぐな背中だけを見せろ。
  
  (上司の背中、生き様が尊敬できる上司についていきたいと思うもの)

 ②総論と各論を使い分ける管理職は部下はついてこない

  (総論ではかっこいいことを言って、その時々において各論を変える人の
   背中には安心してついていけない)

 ③指導者を育てる場合は、カミソリではなくナタを意識した方がいい。

  (カミソリは身近にあってよく切れるから重宝されますが、木はきれません
   ナタは重くて使いこなすのが大変ですが、木を切り倒すことが出来る。
   大きな仕事を任せされるのは、こうしたタイプで、少々不器用でも
   最後は仕事を成し遂げる。会社を変革できるのはカミソリではなくナタ。
   その人材がカミソリなのかナタなのか見極めて、育て、使いこなさなければ
   なりません)
  

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